『天気の子』短評

初日一斉上映の一環で、池袋のグランドシネマサンシャインにおいて拝見した新海誠監督最新作。

IMAXシアターで見てよかったと思えるような、映像面ではいつもどおり見事なクオリティでした。

 

東京の怖さと街宣広告描写

主人公である帆高(声:醍醐虎太朗)は16歳の少年。彼が家出して仕事を探す場面。東京が怖いと称していたのは、いくらなんでも見通しが甘いのではと思ってしまいます。

 

むしろ指摘したいのは風俗業勧誘トラックを文言違えず登場させたところです。

あの手のトラックは音が大きく近くを通ると頭に刷り込まれ、興味のない人にとっては暴力的である思えます。

一方、本作は一瞬だとしても映画館という視覚聴覚的にほぼシャットアウトできないところで流れるわけで、ここで現実と同じ様な体験をすることになろうとはと感じさせられます。

これは東京(繁華街)の怖さを映画として体験させられるわけで、不快だけども笑いそうになる興味深い経験でした。


帆高が選んだ結末

(展開のネタバレはないですが、これから見る方は読まない方が無難です)

 

帆高は世の中と自分の思いを比較して、前者を選ぶような人ではないでしょう。話の展開上、そして主人公として、彼のとった行動は(その経過の違法性とかは除外して)おかしいことではないと言えます。

しかしそれは作品が脳天気なセカイ系となることに繋がるわけです。これを夏の話題作として見ることになろうとは。

そして京都アニメーションが壊滅的被害を被り、『涼宮ハルヒの憂鬱』に楽しんだ者として悲嘆に暮れた翌日にこのような作品と向き合うことになろうとは。

妙な巡り合わせだと感じたのでした。